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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)442号 判決

原告

右訴訟代理人弁護士

宇津呂雄章

今西康訓

被告

株式会社Y1

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

塚口正男

阪井基二

被告

Y2株式会社

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

原山庫佳

右訴訟復代理人弁護士

塚口正男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し金一一六〇万四七二七円及びこれに対する昭和五九年一二月一三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告らが企画、主催した国内団体旅行に参加した原告が、旅行中の記念写真の撮影の際に負傷し損害を被ったのは、被告らの旅行契約に基づく安全配慮義務ないし負傷者に対する保護義務の懈怠によるとして、負傷に基づく損害内金の賠償を請求した事案である。

一  当事者間に争いがない事実など

1  原告は、大正一二年○月生まれの女性であるが、被告株式会社Y1が企画し、被告Y2株式会社が主催した観光バスによる一泊二日の国内団体旅行(名称 ○○旅行)に参加を申し込み、昭和五九年一二月一一日・一二日、長女Cと共に右旅行に参加した。

2  同月一二日午前、石川県金沢市兼六町所在のa公園において、旅行参加者が三列に並んで記念写真を撮影中、二列目にいた原告が、撮影者のDの指示により三列目の撮影台(ベンチ)の上に登ろうとした際、転落して負傷した(以下「本件事故」という。)。

3  原告は、事故後病院に連れていかれることもなく、旅行は当初の予定に従って継続され、原告は、同日夜所定の経路で大阪に帰ったが、翌一三日、田中外科病院において治療を受けた際、腰椎捻挫・第三ないし第五腰椎圧挫骨折との診断を受け、以後これの治療を継続した(甲4)。

4  Dは、訴外株式会社b写真の社員であったが、右旅行に補助添乗員として参加し、記念写真の撮影を行なうと共に、旅程管理業務を行なう主任添乗員の業務を補助していた者である(証人D)。

5  原告の負傷に対しては、被告Y2株式会社と旅行傷害保険を締結していた東京海上火災保険株式会社から、平成元年九月四日に傷害保険金として金二万八〇〇〇円、平成二年五月二一日に標準旅行約款中の特別補償規定に基づく後遺障害補償金に充当するとの合意の下に金二〇〇万円の各支払が、既になされている。

二  主要な争点

1  被告らの安全配慮義務懈怠の有無

(原告の主張の要点)

(一) 本件事故は、Dが原告に対し三列目の撮影台に登るように指示し、原告は狭いところへ立たすものだと思いながらDが急いでいるようであり指示にしたがって撮影台に登ろうとしたところ、同じくDの指示に従い原告の方に寄ってきた撮影台上の他の旅行者と接触して、転落して生じたものである。

(二) Dは、原告に対し撮影台上に登るように指示する際には、原告が高齢で足腰に衰えがあることを考慮し、また、同人が登るように指示した撮影台上には十分な間隙がなかったのであるから、原告より若齢の者を台上に登るよう指示するか、あるいは、原告を台上に登らせるのであれば十分注意を喚起するなどの措置を採るべきであり、他方、台上の他の旅行者を移動させるについては、原告が台上に登り終えたのを確認した後にその指示をすべきであって、同時に右指示を出せば本件のような接触による転落事故が発生することは十分予見し得たのである。

(三) Dが、右の注意義務を怠った結果、本件事故が発生したのであるから、被告らには、原告に対する旅行契約上の安全配慮義務の懈怠がある。

(被告らの主張の要点)

(一) 本件事故は、記念写真撮影の際、二列目にいた原告の顔が前の者に隠れて見えなかったことから、Dが原告に対し「前に出るか後の台に登ってください。」と声をかけたところ、撮影台に片足を掛けて登りかけた原告がバランスを崩し後に尻餅をつくようにして転んだ自損事故であって、原告が他人に接触したことはないし、Dが台上の者に移動を指示したこともない。撮影台の形状も、通常右のような転落が考えられるようなものではない。

(二) したがって、Dの原告に対する指示について、安全配慮義務の懈怠はない。

2  被告らの「保護義務」懈怠の有無

(原告の主張の要点)

(一) 原告は、本件事故直後は立ち上がることも出来ない状態であり、その後も長女らに両側から抱えられてバスに乗り降りするような状態であったが、他の旅行者に迷惑を掛けることをおそれ、病院に立ち寄って治療を受けたいとも言い出せないまま、激痛に耐えてそのまま大阪に戻ったのである。そして、右治療開始の遅れ及び長時間のバスによる移動が、原告の損害の拡大及び後遺障害発生の一因になっている。

(二) 右のような原告の状態は添乗員らにも明らかであり、原告の傷害の重大さを容易に看取することができた。

旅行の主催者には、旅行契約の付随義務として、旅行中旅行者に急な疾病が生じた場合には病院に連れていくなど適切な措置を講ずべき保護義務があるから、本件においても、原告の容態及び意思を確認し早期治療のための適切な措置を講ずるべきであった。

(三) Dらは右義務を懈怠し、なんらの措置を講じなかったのであるから、被告らには原告に対する保護義務の懈怠がある。

(被告らの主張の要点)

Dは、事故の後原告に「大丈夫ですか、病院にいって診てもらいましょうか。」と声をかけたが、原告及びその娘は大丈夫だと答え普通に歩行していたので、それ以上病院にいくことを勧めなかったもので、その後の原告の状態にも外観上から解るような特別の異常はなかった。

したがって、被告らに保護義務の懈怠はない。

3  損害の額及び因果関係

(原告の主張の要点)

(一) 原告は、本件事故によって、腰部捻挫・第三ないし第五腰椎圧挫骨折の傷害を受け、入・通院して治療を継続したが、その間就労できなかった。また、原告は、平成四年一二月一二日の症状固定日当時、第一ないし第五腰椎圧挫骨折、第六、第七胸椎圧挫骨折、湿疹、痔核に罹患しているがこれらは、いずれも、本件事故に起因するものであり、かつ、右各圧挫骨折によって後遺障害を残している。

(二) 右による原告の損害は以下のとおり合計四三七五万〇九〇〇円になる。

(1) 入・通院にともなう支払診療費の治療費 六一万八七二七円

昭和五九年一二月一三日から平成四年七月一八日までの分

(2) 入・通院諸雑費

七九万六〇〇〇円

右期間の入・通三九八日分一日当たり二〇〇〇円

(3) 精神的損害 一四〇〇万円

入・通院慰謝料 四〇〇万円

後遺障害慰謝料 一〇〇〇万円

(4) 治療中の逸失利益

一三六九万九〇一二円

賃金統計による得べかりし給与額年額二九六万三六〇〇円を基礎とする八年間分。

(5) 後遺症による逸失利益

一二一六万七一六一円

労働能力の喪失率六七パーセント、得べかりし給与額年額二七五万六一〇〇円を基礎とする就労可能期間八年分。

(6) 弁護士費用 二五〇万円

(三) 原告は右損害から既受領分を控除した残額の内金一一六〇万四七二七円及び弁護士費用内金一〇〇万円を控除した残額に対する契約履行日から商事法定利率による遅延損害金を請求する。

(被告らの主張の要点)

原告主張の損害は争う。ちなみに、原告は、本件事故以前から腰痛と転倒で治療を受け、平成二年には骨粗ショウ症の診断を受けており、現在の傷害と本件事故との因果関係にはおおいに疑問がある。

第三  主要な争点に対する判断

一  安全配慮義務懈怠の有無について

1  本件事故の態様について、原告は、原告が撮影台の上に登ろうとした際、撮影台の上に向かって(以後同じ)右端の旅行者と接触して台上から転落したと主張し、原告も本人尋問の際には、ドンと飛び上がるくらいの強さで押された、隣の人ももう二人くらい落ちるとこだったと言っていたなどと詳細に述べるが、原告自身が本件訴訟前に作成した手紙である甲第三号証では原告は二度にわたって、本件事故が「誘導を受け急がされるままにあがり滑った転落事故」である旨を記載しており押されたとはまったく述べていないことや証人Dの証言に照らして、右原告本人尋問の結果は措信できない。また、原告は、Dが原告には台上に上がるよう指示する一方、台上の者には右側(すなわち原告が上がる側)に移動するよう指示したとも主張するが、原告自身本人尋問の際にはDが台上の者に右側に移動するよう指示した事実を否定しており、右指示の事実を証する証拠はない。

そして、右甲第三号証及びこれに符合する右証人Dの証言によると、本件事故は、撮影台の右端から撮影台に向かって登り掛けた原告が途中で自らバランスを崩して転倒した事故であって、自損事故であると認めるほかはない。

したがって、Dが原告と台上の者とに同時に、接触が生ずるような不適切な指示をしたことを前提とする原告の安全配慮義務懈怠の主張は、前提事実を欠き、理由がない。

2  次に「高齢」の原告を撮影台の上に登らせた点について検討する。

乙第二号証、検乙第五号証、証人D、同Cの証言によると、本件撮影台は、幅三六センチメートル、高さ四〇センチメートル、長さ一八〇センチメートルのアルミ製のベンチであること、撮影当時原告は二列目の右端にいた原告の長女であるCの左後方に立っていて顔が隠れていたことからDが移動を指示したものであることが認められる。しかし、右Dの指示の具体的な内容については、原告及び証人Cは、台に上がる様にのみ指示したと述べるが、証人Dは前に出るか後の台に上がるように指示した旨を証言しており、本件事故後の写真である検甲第一号証の右端にはなお余裕があること、原告自身も転落後Cから「そんなに上がりたかったのならなぜ先に上がっていなかったか」と叱られた旨を述べていることなどを合わせ考えると、Dが原告に撮影台に登るようにのみ一方的に指示した旨の右原告及び証人Cの供述はにわかに採用できない。そして、原告の年令は事故当時は未だ六一才であり、身体に不自由があったとの証拠もないこと、並びに、前記アルミ製の撮影台は高さはやや高いが幅は十分にあること、Dの位置からして撮影台の右側の余裕は十分には判断できず登る者が自ら判断すべきものと考えられること、長女のCが傍らにいたこと等を総合して検討すると、Dの指示(ただし、前述のようにその具体的な内容は証拠上必ずしも確定できないが)について、原告に対する安全配慮義務の懈怠があったとは断じがたいといわざるを得ず、この点に関する原告の主張も理由がない。

二  保護義務懈怠の有無について

1 旅行の主催者には、旅行中、旅行者に急な疾病や負傷が生じた場合などには、これを病院に連れていくなど適切な措置を講ずべき保護義務があることは、一応、これを肯定することが出来る。しかし、自らの安全と健康を管理するのは本来的には旅行者自身なのであるから、旅行者に正常な判断能力と自己管理能力を期待し得るかぎり、旅行主催者の右保護義務は、基本的には旅行者自身の判断と自己管理を補完し援助するもので足り、特段の事情がないかぎり、原則的には、旅行者自身の申し出を待って適切な措置を講ずれば足りるものと解される。

2 これを本件についてみると、証人Dの証言によると、本件事故後、後の組の撮影を終えて原告に追い付いたDが、大丈夫ですか、病院に行って診てもらいましょうかと声を掛けたのに対して、原告と同行していた長女C(当時三八才)は、大丈夫ですからと答えたこと、そして、その後の旅行中も、原告やCは、添乗していたDに対し、痛みを訴えたり、病院に行くことなどを申し出ることなどしなかったことが認められる。なお、原告は、事故後原告は一人で歩けない状態で両脇を抱えられて歩き、その状態でバスに乗り降りしたし、車中では激痛に耐えていた状態であったと主張し、原告及び証人Cは同様に述べ、Dがこれを無視したと述べるが、原告に痛みがあったであろう点はともかく、それが、直ちに医師の応急措置を要する程度であることが外観上も明らかであったという点については、これに反する乙第一号証及び証人Dの証言に照らしてにわかに採用できない。したがって、本件事故が前記のように自損事故で、原告の娘も原告を叱り付けていたような事情や、原告には右娘が同行していてその保護が期待できたことや、以後の行程は帰路であったことなどをも考え合わせると、Dないし旅程管理者が、原告らからの申し出のないままに、事故後直ちに原告に医者の診断を受けさせなかったとしても、前記保護義務の懈怠があったと断定することはできない。

3  また、甲第四号証によると、原告は本件事故の翌日である昭和五九年一二月一三日に、かねて腰痛等で治療を受けていた近所の田中外科病院においてレントゲン検査により前記第二の一3のような診断を受けていることが認められるが、その後の一月内の通院は、同月一八日、二五日及び翌年一月一〇日の三回に留まり、治療としても投薬等を受けただけであることが認められることからすると、本件事故直後に、原告が直ちに医師の応急措置を要するような状態にあったとは考えられず、他に、原告が事故直後医師の診断を受けなかったため治療の開始が遅れたことやバスでそのまま帰阪したことが、その症状の発現及び損害の拡大に特に寄与したと認定するに足る証拠もない。そうすると、結果的にも、被告らには原告の主張するような保護義務はなかったことになる。

4  したがって、いずれにせよ保護義務の懈怠に関する原告の主張は採用できない。

第四  結論

以上の次第で、損害の点について検討するまでもなく、原告の被告らに対する損害賠償の請求は理由がない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官小田耕治)

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